ひとりのパパ(別居親)の日常

同じ境遇の方や理解のある方のお役に立てればと思います。

別居387日目(2023/06/13)

昨日(6/13)は晴れて暑い日でした。

 

子どもは週末に広島に旅行に行っていたようです。

子どもと相手方は頻繁に旅行や高級ホテルに宿泊などしているようです。

それはそれで子どもの体験としては良いかなと思ってます。

ただ、その予定がある時に子どもと会える時間が持てたらなとも思います。

 

昨日は明け方に夢を見ました。

子どもが大人になって、知らない女性を連れてきました。

子どもがその方と結婚するということで、挨拶に訪れたというものです。

子どもが結婚するということは喜ばしいことでした。

その場に相手方もいました。

相手方は私に対して、「私は連れ去りをする人間だから」と開き直って私に話してきまいした。

それに対して、子どもは「それは本当に嫌だ」と言った発言をしていました。

 

私のどこかでまだ合意書での3ヶ月目処での交代監護するという内容を一方的に反故にした「子の連れ去り」といった事実を受け入れることができていないからでしょう。

また、子どもが成長して大人になってから、私の前に現れたというのは、今後の親子断絶を悲しく思うといった感情があるのだと思います。

 

これについては、少なからず相手方がどうであれ、相手方との生活の中で相手方への不満を募らせていった結果に他ならないです。

 

一般的には「虚偽DV」にあたるのかもしれませんが、それを手段として選択させたトリガーを引いたのは私です。

 

相手方の思うところは分かりませんが、そのような相手を選んだのも私です。

そして、子どもが生まれてこのような状況を作ってしまったことの一端を担ったのも私です。

 

子どもに罪はありません。

これから、相手方と修復や再構築が望めないこと、子どもが私との関係を引き裂かれることは結果論として、現状では仕方のないことです。

ただ、将来的に子どもが両親から愛されていることを感じてもらえるような環境を作り上げていくことが重要だと思っています。

子どものことは愛しているし、私にとってはかけがいのない人です。

 

いよいよ、監護者指定の審判も次の期日が最後となり、裁判所で調書が作成される予定です。

これからもどのような形であれ、支援をしていければと思います。

 

最近、友人から「見方」を変えるということを学ぶ機会がありました。

このような状況でも悲観だけするのではなく、良いように見ていくことが重要であると思います。

例えば、別居してから子どもと会う時間は少なくなりましたが、自分の時間を持てたことで、自身が成長する時間を得たこと、子どもとの将来についても考える時間を得たこと、相手方との関係性について考える時間を得たこと、そして、相手方は私の時間を捻出してくれるために別居し、子どもを育ててくれていること、このように考えることで自身にとっては良かったと思えるのかもしれません。

 

「リフレーミング」という言葉がありますが、ネガティブなことも表裏一体でポジティブに変換してみるということは非常に重要なことなのかもしれませんね。