本日も天気が良い1日かと思ってましたが、夜に少し雨が降りました。
日中は晴れていたので、子どもは外で遊べたと思います。
なかなか、会うことができない子どものことは毎朝起きた瞬間に思いを馳せますね。
なんでこうなんでしょうね。日本って一度何かがあると許容しないことが多いのかな?
日本って大きい括りにしてしまったけど、社会的にそのように感じます。
個々に見ればそのようなことはないでしょうけどね。
私と子どもに関しては、相手方のキャパが少ないことにより、このようになっているのかなとも思います。
もちろん、私にも良くないところはあって、それにより相手方を傷つけたかもしれませんが、相手方は子どもと私、そして私の親族をも傷つけています。
多数と少数で簡単に割り切れるものではないと思いますが、それほどのことをしているのではないかと思います。
相手に矢印を向けて考えても何も変わらないと思うのですが、どうしてもその思考は残ってしまいますね。
でも、それを思っている状態で腐るのではなく、自分は自分の悪いところを是正していくのは必要だと思っています。
それはこれからも続けていかなくてはいけないと思っています。
人は攻撃的な部分もあれば、そうでない部分もあるし、喜怒哀楽は必要なものだと思います。
ただ、怒りは表に出さないように自分自身で処理をしないといけないですね。
私は相手方に怒りというより悲しみを覚えます。
きっと相手方は愛されるということが、私と違った観点で持ち合わせていたんだと思います。
相手方の愛を感じられるものを私がわからなかったことも要因の一つだと思います。
ただ、相手方も私の愛と感じられるものがわからなかった。
双方に歩み寄ることと理解をすることがないとなかなか難しいですね。
そこに子どもが加わると子どもに対しての愛情のかけ方も違ってくるんでしょうね。
さまざまな研究結果があり、どれが正しいとは一概には言えないですが、親子断絶はあってはならないし、双方の親から子どもは愛情を注いでもらったほうが良いと私は考えています。
相手方が監護者、親権者となった場合は、そうはならないと思いますので、私は子どものためにも戦い続けます。
そして、私が監護者、親権者となった場合は、相手方にも子どもとの自由交流をしてもらいたいと思います。
それに向けてひたすら突き進みます。